コミュニケーションの手段について思うこと

ごきげんようすっきーです。

シャワー浴びてた時に思いついた。

いつもはこの時間、寝ないと翌日死んじゃうんで絶対寝るんですが、明日は休みなので書きます。

人間って昔からあらゆる手段を使ってコミュニケーションを取ってきたと思うんですが、特にSNSに関しては自分の世代あたりで感じ方が全く違うということに気づいた。

1990年生まれの人間からすると、中学校で携帯電話を持つ奴が出始めて、高校生の時にmixi、大学生の時にtwitterとFacebook、後半でInstagramってな感じでSNSが「世の中で広まり始めてきた」時に波に乗り始めて言った感覚がある。

それは「なんか話題だし乗っかっとくかー」っていう能動的な気持ち、自分から取りに行く気持ちがあって初めて成り立つものだった。SNSをコミュニケーションの手段として選択した、とも言える。

1、2年経ち大学生活も後半になって新歓で後輩とSNSアカウントを交換する。その時違和感に気づく。象徴的なのは「裏アカウント」というやつだ。そもそもそんな風にやる発想なかった。かと思えばサークル内の揉め事をtwitterのリプライでガンガンぶつけ合う。

「そんな言いにくいことそもそもSNSに書くんか・・」と「えぇ・・直接やればいいのに・・何もみんなが見えるところでやらんでええのに・・」という相反する現象が同一人物の中で起きることが不思議でしょうがなかった。

携帯電話もSNSも「元からあったもの」として育つ人たちは、ちょうど僕の年齢から下あたりから出始めてきたように思う。

彼らは思うことtwitterにを吐き出す。慣れた手つきで自撮りをインスタにあげる。摩擦なく呼吸をするように。

でも、だ。

社会人になった瞬間それが一気に少なくなった。賑やかだったタイムラインがまー静かになった。

そりゃ社会人として書いちゃイカン内容もあったでしょうけど、そんな気になる内容多くないで?

ぜひ変に蓋せずポンポン呟いていただきたい。

人の書いた文章は、文字数少なくてもやっぱり体温を感じるんですよね。そんな人肌が欲しい時もある。

この文章もそんな役ができたらいいっすね。

エモみ忘れず。

投稿者プロフィール

すっきー
すっきー
神奈川県在住の27歳男性!働きながらブログを書いています。2017年10月からスタート。投稿200記事を目指して日々奮闘中。好きな音楽、本、食べ物など、つれづれと書いています。

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